皆さん、こんにちは。「宇宙の法則」エバンジェリストのにしきです。
間に記事を挟んでしまったのですが、「エイブラハムのヴォルテックス」の
続きの話をしましょう。
僕たちは物質的と非物質的の2つの視点と2つの現実を生きているのでした。
エイブラハムが語っていることは、物質的なものと、非物質的なものとの関係であり、
運動です。
さて、この見方をしっかり理解するとわかるのが、「死はない」ということです。
一般に「死」とは、この世からあの世へ行くことだと思われています。
三寸の川を渡って。
しかし、そもそもこの考え方が違っていることがわかるでしょう。
僕たちはあるときこの世にいて、別なときにあの世にいるのではありません。
地球にいるとき、僕たちは「この世」と「あの世」を同時に生きています。
別次元だけれど、「あの世」の私(内なる存在)は、いつも「この世」の私(自己)
と接触し、「内なる存在」のエネルギーはいつもこの世の自己に流れ込んでいます。
確かに肉体が滅びると、「内なる存在」のエネルギーは、肉体を離れ、純粋な
非物質的エネルギーに戻ります。
比喩で話すと、僕たちの背中にはゴムのひもが付いていて、ゴムが天井からびよーんと伸びて床に着いた。
それが地球上での誕生です。
それがあるとき、摩擦が少なくなって、僕たちの足が床から離れ、ゴムの力で、
びよーんとまた元の天井に戻っていった・・・
それがいわゆる「死」だといえるかもしれません。
しかし結局それは一つの同じ部屋のなかで行われていること。
死によって誰かが退場するわけではなく、ただゴムの伸び縮みという運動が
起こっているだけ。
それが「誕生」であり、「死」なのかもしれません。
つまり「誕生」も「死」もなく、ただゴムの伸び縮みがあるのです。
そして、僕たちが地球にいるときは、いつも生命力というエネルギーにつながっています。
だから生きているのです。
その生命力はあちらの世界に属しています。もし生命力がこちらの世界に属して
いるなら、人は死なないはずです。
あれ、ちょっとおかしいことに気づきませんか?
「あちらの世界=死」
だと思っていたのに、
「あちらの世界=生命力」
なのです。
とするならば、どう考えても、「死」は命がなくなって停止した状態ではないし、
逆に「死」は命がたくさんある状態とさえいえるのです。
だから、これは「死は命がなくなること」という僕たちの定義が
間違っていたことになります。
「死」はない。あるのはこちらの世界とあちらの世界との間の行き来、
運動だ・・・と思えてくるのです。
2つの視点、2つの現実を受け入れると、「死はない」というのはごく自然なこと
に思えます。
にしきは実際に「死はない」というのが真実だと感じています。
■死についても語ります・・・特別セミナー「THE DEEP 引き寄せの法則」
http://online.attraction-method.net/vortex-the-deep/