すべての人に優勝トロフィーがある
皆さん、こんにちは。「宇宙の法則」エバンジェリストのにしきです。
さて、今日は皆さん楽しんでいますか?
楽しむことを後回しにしていない?
ネガティブな気持ちになるのも「あ、そうか、ネガティブになるのが好きで、
暗い感情を楽しんでいるんだ。ただそれだけなんだ」と思って楽しめばいいですよね。
もし楽しんでいないとしても、責めたりしませんよ。
「楽しまないのが、楽しい」んだから、しかたがありません。
そういうのなんて言うかご存じですよね。
マゾ。
マゾが悪いってわけじゃないので、いいじゃないですか、マゾで。
やっぱり世のなかに広がっているのは「苦しまなければいけない」という信念の波動
ですよね。
例えばマラソンみたいに、「苦しいのをこらえて練習に励み、たった一つの栄光を
勝ち取る」というストーリーを多くの人が好んでいるんです。
でも、本当は違うと思いますけどね。
すべての人に優勝トロフィーは用意されているのです。
マラソンで惜しくも2位になったとしましょう。
スポーツ選手なら、すごく悔しがります。
しかし、本当はその人は「マラソン2位部門」では堂々のトップなのです。
1位の人も、その部門では優勝できません(笑)。
2位があるから1位があるわけで、2位にも大切な意味があります。
だから、悔しがる必要はなくて、「よかったな~」と思っていいんです。
すべてはうまくいっているし、うまくできている。
それを僕らが「これじゃない」「こんな自分じゃだめだ」とジャッジするから、
本当の姿が見えてこない。それだけです。
「なりたい自分」は、今の自分とは違う?
こういっても、やはり人はどこかで「優勝トロフィーは1つだけ」と思い込んでいます。
そして、「こういう状態になれば、自分も優勝したと思えるだろう」というような
「理想像」を自分で創り上げています。
「なりたい自分」ってヤツです。
その「なりたい自分」は今の自分とは違っていて、たくさんお金を持っていたり、
すてきなパートナーがいたり、豪邸に住んでいたり、いいクルマや家を所有していたり、
いい仕事に就いていたり、考えられる最高の「理想の自分」というわけです。
でもその「なりたい自分」にはなかなかなれなくて、なりたい自分になるには、
努力や苦労や苦しみが伴う、だから今はネガティブな気持ちなんだと。
今の自分と「なりたい自分」のギャップを埋めるのが、
成長だと思っているのです。
すると、「なりたい自分」からすると、今の自分は「ダメ」で、「足りない」存在
に思えます。
しかし、そういう「なりたい自分」になればすべては達成され、
気持ちも晴れる。
これが願望の実現であり、成長だというのです。
さしづめ、その「なりたい自分」になるための方法が、「引き寄せの法則」だと
思っているのです。
あなたもこんなふうに思っていますか?
もし、その「なりたい自分」になるのがあなたの願望だというなら・・・
にしきは言います。
「そんな願望は捨てちまいな!」
「なりたい自分なんていらない、《なりたい自分をぶっ壊せ》!」
とね。
(そもそも「なりたい自分」って日本語、ヘンじゃないですか?)
「なりたい自分」はいらない
先日、「引き寄せの法則」に関心のある方と話をしていたんです。
すると、その人は当然のように「・・・理想像ってありますよね」という
話になって、理想像や「なりたい自分」になることがいいことだと思っているようなのでした。
で、当然にしきにも「なりたい自分」や理想像があると思ったらしい。
でもにしきは即座に「理想像なんてないですよ」と言ったら、すごく驚いていました。
「え? ないんですか?」と。
いや、ないです。(キッパリ)
未来の時点で、今の自分と違う自分に変化するという発想はまったくありません。
にしきはにしきです。それは絶対に変わりません。
にしきの場合、そういう「なりたい自分像」はなくて、
願望らしきものがあるとすれば、「自らの使命にのっとり、自分のギフトを存分に
使い、貢献している」ということです。
かっこよく言えば、「神の道具となること」「宇宙の道具となること」だと思います。
そういう意味での願望はあります。
しかし、「なりたい自分になる」という、ヘンな日本語で言い表されることには
興味はありません。人生を宇宙に委ねていますから。
僕は僕だし。
楽しく、楽な成長もある
しかし、その人の頭のなかでは、「理想像」や「なりたい自分」に近づくことが
周りから受け入れてもらうことだと理解しているのです。
その意味では、「なりたい自分」は自分のものでさえなくて、親であるとか、
パートナーであるとか、家族であるとか、会社の上司であるとか、そういう
「他人の期待の寄せ集め」だということがわかりました。
その自分のものでない「なりたい自分」に、なぜか近づかなければいけないと
思い込んでいるのです。
これってとってもつらいと思います。
楽しくないと思います。
だって、自分とは縁もゆかりもない「なりたい自分」になろうとするのですから。
今の自分が持っていないスキル、才能、能力・・・が、未来のいつか見つかって、
その「なりたい自分」になるという企ては、必ず失敗します。
(そういうものは見つかりません。あなたはあなたですから)
百歩譲ってその「なりたい自分」になったところで、それは「自分」ではありません。
その実現した「なりたい自分」が、未来のある時点では、今の自分のように
自然に感じられる・・・ことはないはずです。
まるで仮面をつけたようにぎこちなく、息苦しいでしょう。
だって、あなたはあなただから。
あなたのなかには変わらないコアの部分が必ずあるからです。
それを無視して「なりたい自分」になるとすると、葛藤して苦しくなります。
人格が引き裂かれたようになります。二重人格ですね。
心の病気になるから、これはやらないほうがいいと思います。
まあ、苦しい道を通るのが好きなら、それはそれでいいのですが。
苦痛に顔をゆがめるマラソンランナーみたいですね。
でも、苦しみを通らない成長もあるんです。
それは、僕が言うように、自分の外側に「なりたい自分」という幻想を作らないことです。
そういういらない考えを捨て去って、自分に戻ってくることでも成長できるんです。
外側に何かを探すのではなくて、自分の内側に既にある答えを探すのです。
いつも自分に問い掛ける習慣を持つのです。自分を責める習慣ではなくて。
「なぜ私は生まれたんだろう」「私のいいところはどこだろう」
「どうすれば自分の命を輝かせるだろう」
そんな本質的な問いを行います。
そうすることで、自分がよく見えてきます。
自分のやるべきことがわかってきます。
もう「すべてを持っている」こともわかってきます。
そしてそこには、外に出たがっているハートの声があるんです。
それが「ハートの願望」で、にしきが重視するものです。
それは決して「なりたい自分」のように他人やメディアによって作られたものなど
ではなく、心の底からこんこんとわき出てくる泉のようなものです。
他人の賞賛や賛同は一切関係ないけれど、止まることなく何度何度もささやきかけるもの。
それはインスピレーションによってもたらされる宇宙からのガイダンスでもあります。
それが「ハートの願望」です。
この発想だと、自分が何か違う人間になる必要はまったくありません(そもそも
それは不可能です)。
ただ自分に戻ってくればいいので、楽だし、自然です。
いつも自分の前に、自分のなかにそれはいるし。
リラックスできます。
こういう意味でのありのままの自分に戻り、自分を深掘りすることが、
「ハートの願望」を通した成長につながるんです。
だから、お勧めは、
「なりたい自分をぶっ壊して、
自分を徹底的に極める」
ということになります。
でも、深刻に受け取らないでください。
僕が言っているのも遊び。
あなたがやっている「なりたい自分」になろうとするのも遊び。
ちょっとマゾだとは思いますが、それが悪いってことはありません。
でももし、楽しい成長があるってことを知らないなら、
自分に戻るやり方も試してみたら?
楽しいし、楽だし、2014年に最適な生き方になると思います。
こんな話もするかしら?
↓ 「ニッキー・マッキーのワンダフル・ワールド」 ↓
http://www.attraction-method.com/wonderfulworld/
■
でも、正月の箱根駅伝を見ていると、選手がけっこう笑顔なのが
印象的でした。苦労の波動も、ちょっと変わりつつはあるのです。