最も偉大な教師 ~父親を許す

人生の転機となった日に亡くなったウェイン・ダイアーさん

ウェイン・ダイアーさんの版元のヘイハウスからニューズレターが来て
気づいたのですが、ウェイン・ダイアーさんが亡くなったのは、彼の人生で
最も大切な日だったのです。

ウェイン・ダイアーさんがあちらにお戻りになった8月30日は、
41年前にウェイン・ダイアーさんが父親の墓を探し当て、
ついに父親を許した、まさにその日だったのです。

ウェイン・ダイアーさんの人生が変わった日。
その日にあちらにお戻りになるっていうのは、偶然じゃないですね。
僕たちへのメッセージです。

皆さんが「ウェイン・ダイアー博士に捧ぐ」を読んで思ったコメントにも
ウェイン・ダイアーさんが父親を許した話が多く取り上げられていました。

親を許す、許さないっ、っていうのも変な話ですが、
親子の葛藤は簡単に解決するものではないのは、皆さんもご存じだと思います。
だから、ウェイン・ダイアーさんが父親を許した話に心が動くのですよね。

ウェイン・ダイアーさんにとっても、あなたにとってもとても大切な話である
「親を許す」話を、ウェイン・ダイアーさんの回想録I Can See Clearly Nowから
まとめてみます。

この本も翻訳されることはないと思いますので、
にしきの超訳で紹介する意味もあるかな?

・・・ということで、ちょっと詳しめの「父親を許す」です。

ウェイン・ダイアーさんが父親を許したストーリー

1974年、ウェイン・ダイアーさんは、ニューヨークのセント・ジョンズ大学で
教鞭をとっていました。
「ミシシッピ女子大学が公民権法にのっとって運営されているか、調べて
くれない?」と同僚の女性からワイン・ダイアーさんは頼まれます。
「二日でいいから、関係者の聞き取り調査をしてほしいの」
トルコ旅行で大金を使っていたウェイン・ダイアーさんは二つ返事で承諾します。
お金のこともありますが、幼いころ自分を見捨てた父親が死んで、その墓が
ミシシッピ州ブロクシという街にあると父親がたの甥から聞いていて、墓を訪れて、
これまでの葛藤に決着をつけようと思っていたのです。
8月28、29日と聞き取り調査を終えると、ウェイン・ダイアーさんは父親の墓
があるブロクシに向かうため、レンタカーを借ります。そのレンタカーはおろし
たての新車で、安全ベルトは保護のビニールで包まれたままだったのですが、
おもしろいことに安全ベルトの留め金に名刺が挟まっていたのです。
その名刺は「キャンドルライト・イン ミシシッピ州ブロクシ市・・・」と
書いてあります。
「新車なのに名刺が挟まっていて、しかもそれが今日の目的地にあるホテル
だなんて、変なこともあるもんだ」
といぶかしく思いながらも、クルマを走り出したのでした。

ブロクシに着くと、早速、墓地に電話しました。すると、3回目の電話で、
父親の墓があるとわかりました。
電話の相手が言うには、実はそこは普通のお墓じゃなく、貧しい人が葬られる
場所だそうで、それはなんと、「キャンドルライト・イン」の敷地のなかにあると
言うのです! 名刺にあったホテルの場所です。もう最初から、シンクロで
お知らせが来ていたのです。

そこにクルマで着くと、管理小屋で父親の死亡証明書を見せてもらいました。
そこには、ウェイン・ダイアーさんをはじめとして、3人の子どもたちの名前が
刻まれていました。「顔を見たこともない父親だったけれど、自分の名前を
知っていたんだ・・・」ウェインさんはそう思いました。

墓だという所に行ってみると、こんもりと土が盛られていて、そこに父親の墓標
がありました。
ウェイン・ダイアーさんは、「小便をかけて、帰ろう」と思っていましたが、
そうはしませんでした。
こうして、父親に会ってみると、さまざまな思いや感情がわいてきて、圧倒され、
涙が出ました。

それから2時間半、ウェイン・ダイアーさんは墓のなかの父親と話をしました。
涙も出ましたが、落ち着いてきて、「オヤジはいつもそばにいたんだ。
あれでよかったんだ」と思えてきました。
父親に別れを告げて、クルマに戻りましたが、「見えざる力」に押し戻される
ようにして、再び墓の前に立ちます。
そして、こう言いました。
「今日は天に遣わされてここへ来たし、オヤジがこの一件にかかわっているかも
しれないし、そうでないかもしれない。
でもはっきりしているのは、これまで痛みとなっていた憎しみと怒りを手放すとき
がきたってこと。今はそんな思いはすっかり消えたよ。オヤジ、あなたを許すよ」
そして、続けて言いました。
「会ったこともない3人の息子がいるのを知って、どんなに悲しい思いをしただ
ろう。オヤジの心のなかで、何が起こっていたのかはっきりわからないけれど、
もうオレには憎しみはない。あるのは愛情だけだ。いらないものはもう手放すよ。
オヤジも、あの状況のなかでできることをやっただけだと思うよ」
父親の墓標の前に立ってこう思いました。
「オヤジ、これからは愛を送るよ・・・愛を送るよ」

父親を許せた宇宙の計らい

いかがでしょうか?

ウェイン・ダイアーさんは、決して「親を許す方法」をどこかで学んで、
それに従って頭のなかで許したわけではないことがすぐわかると思います。

ウェイン・ダイアーさんは子どものころから、父親を怒っていた。
その怒りをぶつけるために、墓に行ったようなものだったのです。

しかし、そういう自分の思いとは別に、宇宙の動きは進行していました。

父親の墓を見つける4年前に、父親がたの会ったこともないいとこから、
急に電話が来て、ウェイン・ダイアーさんは自分の父親が死んでいると知ります。

そこで頼まれた仕事が、父親が埋葬されているブロクシ市の近くの大学だったこと。

極めつけは、レンタカーを借りたら、新車なのに安全ベルトの留め金に
名刺がはさまっていたこと。

そして、その名刺が、父親が埋葬されている場所を知らせてくれたこと。

そして、いったん墓から出たのに、また「見えざる力」によって墓の前に
引き戻されたこと。

こういうシンクロが重なって、許しへとつながっていたのです。

ウェイン・ダイアーさんは父親を許そうと思って墓に行ったわけではない。
でも、宇宙の計画は、ウェイン・ダイアーさんを許しへと導いていた
それが完璧なタイミングで起こるように仕組まれていた。
それが本当のところだと思います。

自分の意志とか意図などをはるかに越えた大きな流れがあって、
それは僕たちにいつも味方をしてくれています。
それが「宇宙の計画」「人生の計画」「宇宙のシナリオ」などとよばれるものです。

あなたはそういう大きな力や流れがあるのには、まだ気づいていないかもしれません。
でも大丈夫なんです。
そんなあなたも、宇宙はよきように面倒を見てくれますから。

にしきが父親と和解できた話

僕自身、父親との和解はこんな形でしたから。

僕の父親は、記者でした。
才能はあったと思います。英語も得意でした。
朗らかなところもあるのに、家族の前ではいら立っていた。
暴力を振るったりした。
最悪なのは、酔って帰ってきて、寝ている僕たちに
向かってガラスのコップを投げつけたりしたことです。
転勤があったり、仕事がうまくいかなかったりして、
イライラしていたのだと思います。
一緒にご飯を食べると、箸の上げ下げにまで小言を言うし。
こんな父親を僕は煙たくって仕方がありませんでした。
父親の愛情を感じたことはありませんでした。
こんな家を早く出たかった。
そのために、地方の大学をわざわざ選んだのに、数ヶ月して父親が
転勤してきたのは皮肉でしたが。

僕たちが大きくなるにつれて、口では何も言うことはありませんでしたが、
いつも僕たちをライバル視していました。

仕事を始めてからは、なるべくかかわらないようにしていました。

でも、出来事は起こってくるもので、
父親が末期の喉頭ガンになったのです。
家庭は既に崩壊していて、母親は看病を拒否していたので、
僕たち兄弟夫婦が父親の面倒を見ていました。

でも、これはありがたい体験でした。
父親とはなかなか腹を割って話すことができなかったけれど、
最後の最後に、看病を通じて、少しだけ心を通わすことができた
ように思えたのです。

父親は食べるのが好きだったので、手術はしませんでした。
「何を食べたい」と聞くと、「ビールと温泉卵が食べたい」
というので、買って食べさせました。ビールはむせてほとんど
飲めなかったけれど、温泉卵はおいしそうに食べていました。
温泉卵のタレが特に好きでした。

しかし、ついに危篤状態になり、僕が看病をする番のときに
父親は帰らぬ人となりました。
涙は出なかったし、父親が大変なときに、横でぐうぐう寝ていた(笑)
のですが、よかったな、と。
この看病の経験がなかったら、父親との交流は本当に少ないことになったはず。

最期の最期に、少しだけ理解しあえたように思えて、
ありがたく思えました。

僕は父親を反面教師としてきたので、父親と逆のことをやってきました。
でもそれって、やっぱりちょっと悲しいですよね。
距離がある感じで。
それが、父親の人生の最後に、心のわだかまりが溶けて、
許すというのはヘンだけど、父親は父親で精いっぱい生きたんだなと思えるように
なりました。

不思議なもので、僕の父親は亡くなってからのほうが
僕と交流するようになりました。

電話番号も表示されず、呼び出し音が鳴らない着信が頻繁にあったりしました。
父親の話をしていると、ふと気配を感じることもあります。
亡くなると交流がなくなるわけじゃないんです。

今、ご両親を許せないとか、わだかまり感じている方。
ウェイン・ダイアーさんのように、親が亡くなってから許すってこともあるんです。
親の存命中にわだかまりがなくなったら、いいほうがじゃないでしょうか?

親を許せなくて苦しんでいる方、スピリチュアルじゃないと思っている方、
それは違うかもしれませんよ。

人生で一番厳しい学びは、両親との関係です。
だからキツイんです。
誰だってそうですよ。

でもそのなかで、とっても大切なことを教えてくれるのです。
不器用だったけれど、親は親なりの愛があるってことです。
憎い人を許したり愛したりする機会を提供してくれているのです。
どんなにそうは受け取れなかったりしても、親には親の高い次元の愛がある。
この意味では、両親は「最も偉大な教師」といっていいのです。

なので、親を許せないからといって、落ち込んだりしないでくださいね。

きっと宇宙が許しのための機会を用意してくれていますから。
機会がやってきたら、ちゃんとそれに乗ればいいだけですから。
宇宙はそういうふうにできていますよ。信頼してくださいね。

本当は、「許す」とか「許し」っていうのとは、僕は違う感覚です。
「許す」という日本語では、「いい人が悪い人を許す」というようなかんじ、
「許す人が上で、許される人が下」のような区別があるように感じます。

僕が体験したのは、そういう区別が残るのことではなく、
その区別さえもがなくなるかんじ、平等になる感覚です。

同じ地球で学ぶ同志として親を見ることができるようになる。
こんな感覚に近いです。

My Greatest Teacher

ウェイン・ダイアーさんが父親を許した体験をもとに、映像がつくられています。
これを見るとイメージがわくかもしれません。ただし英語です。
ご本人もちょい役で登場します。9月15日までです。

「My Greatest Teacher」

■モン・サン・ミッシェルは「大天使ミカエルの山」ですが、モン・サン・ミッシェルよりずっと前の5世紀に、大天使ミカエルが3度にわたって出現した聖なる山がイタリアにあるのをご存知ですか?
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