皆さん、こんにちは。「宇宙の法則」エバンジェリストのにしきです。

何かを引き寄せることに興味のある方には関係ない話に思えるかもしれませんが、
どうぞおつきあいください。

モノを手放すことと真実について、サン・フランチェスコが教えてくれるからです。

2014年9月の秋分の日を前に、サン・フランチェスコが生まれ、活躍したイタリア
中部の町、アッシジを訪れました。

アメリカ西海岸のサン・フランシスコってあるじゃないですか。
この名前は、サン・フランチェスコから取られたのはご存じですか?

また、今のローマ法王は「フランシスコ」(フランチェスコ)というお名前です。

そして、僕の自宅の近くには、フランチェスコ会の教会があります。

2012年に行ったスペイン、サンチアゴ・デ・コンポステーラへの800kmの巡礼でも、
フランチェスコ会の修道院がたくさんありました。

こういうシンクロのなか、アッシジには行かなくちゃなという気持ちは前々から
あったのですが、先延ばしにしていました。

「行きたいような、行きたくないような」複雑な感覚を持っていたからです。

しかし昨年末、ワークショップの場で、イメージのなかに十字架が現れてきました。
それは、教会の円蓋(キューポラ)の上に立っている十字架で、十字は深紅、
縁取りがゴールドという十字架でした。
実際、こういう十字架がアッシジにあるかはわかりませんでしたが、
「これはアッシジに来いってことだ」とすぐにわかりました。

多少ためらいも感じたアッシジでしたが、行ってみた感想は「よかった」の
ひと言です。

アッシジは、ウンブリアの平原の丘の上にある町。
ローマから電車で2時間半ぐらいです。
周りはオリーブ畑が広がっていますが、丘の上だけに町があります。
町は中世からの家並みがそのまま残っていて、
小さな道が複雑に入り組み、そこかしこに抜け道があります。
道の両脇にはかわいい土産物屋さんが並んでいて、意外とモダンな一面もあったり。

サン・フランチェスコ聖堂

 

 

 

 

 

 

そんなアッシジですが、一番に感じたのは「平和」ということです。

平和。

町を訪れて「平和」を感じるなんて、なかなかないことです。

悪い人がいない、という安全の感覚ともちょっと違う。
もっと根源的な意味での「平和」のエネルギーがアッシジには流れています。

十字架から聞いた声

サン・フランチェスコは、裕福な商人の跡取り息子としてアッシジに生まれました。
1182年のことです。

当時は各地で戦争が絶えませんでした。
父親は、息子に戦功を立ててもらい、騎士の一員になることを望んでいました。
それが当時の商人のステイタスだったのです。

サン・フランチェスコも戦争に赴きます。
しかし、その途中で「故郷に帰りなさい。そうすれば、何をしたらいいか示され
るだろう」という声が聞こえてきます。

特別宗教的な教育や生育環境だったわけでもありません。
どちらかというとサン・フランチェスコは享楽的に育ったほうかもしれません。
でも、声が聞こえた。

そして、故郷のアッシジに帰り、朽ち果てたサン・ダミアーノ教会に立ち寄り、
祈っていたとき、十字架が語りかけてきました。

「教会が崩れている。建て直してくれないか」

この十字架の言葉が、サン・フランチェスコを動かし、教会の再建に着手させたのです。

サン・ダミアーノ教会

 

 

 

 

 

 

この十字架は、もとはアッシジ郊外のサン・ダミアーノ教会にありましたが、
現在ではサンタ・キアラ教会にあります。

サンタ・キアラ聖堂

 

 

 

 

 

 

十字架、磔刑というと恐ろしい印象があるし、実際そうなのですが、
僕はこの十字架に関しては一切そういう感じがしませんでした。
むしろ、親しみを感じました。
優しい感じなのです。

tim_0948

 

 

 

 

 

 

 

 

 
アッシジ街歩きを動画にまとめました。こんな素敵な町なんですよ。

モノを手放すと争わなくていい

サン・フランチェスコの教えは「清貧」とよばれることが多いです。
父との裁判で、持っていたお金も、衣服でさえも父親に返し、
所有を拒否したサン・フランチェスコ。

サン・フランチェスコがモノの所有を拒否したのは、
イエス・キリストに従うためでした。

イエスは何も持っていなかった。
馬ではなくロバに乗った。
貧しい人でした。
サン・フランチェスコもイエスにならって、清貧を貫きました。

当時の民衆は貧しかった。
サン・フランチェスコは民衆のなかに入って、貧しく生きた。
「貧しい」というのは、「謙虚」のことです。
人はモノを持つと、それだけで偉くなった気がしますが
そんなおごりを持たないために、すべてを捨て、貧しく生きたのです。

だからといって、サン・フランチェスコは難しい顔をした暗い人かというと
全然違っていて、終生明るい性格を持ち続けたそうです。
詩人肌で、動物とさえ会話をしました。
民衆に大変人気があって、彼が作った修道会はすぐ数千人規模に膨らみました。

サン・フランチェスコの清貧の考え方は、当時のローマ法王も厳しすぎると
受け取りましたが、彼はモノへの執着を捨てることで、もう争ったり、守ったり
する必要がなくなりました。

「争わなくていい」「守るために戦わなくていい」という波動が、
今でもアッシジには反響しているんだと思います。

だから、アッシジにいると落ち着くし、それ以上に「平和」を感じるのです。

モノの所有とあなたの本質は無関係

サン・フランチェスコの教えは、引き寄せに興味がある方に、どう響くでしょうか。

サン・フランチェスコが言っていることは

「物質は、本質や幸せとは関係ない」

ということだと、僕は思います。

モノをたくさん持つことや、誰かを手に入れたと思うことは、幸せとは関係ないし、
自分の本質でもない。

そういうことを教えてくれていると思います。

だからといって、物質が無意味だとは言いません。
楽しみたければ、楽しめばいいじゃないですか。
しかし、モノとあなたの本質は無関係です。

僕も、この世で多く所有しようという意識や願望はありません。
生きるために必要なことは、宇宙が用意してくれる。
だから、それに惑わされずに、やるべきことをやる。
それが大切だと思います。

今、多くの人が、自分の生き方に疑問を感じています。
あなたもそうですか?
にもかかわらず、「食べるために・・・」不本意な生き方をしているとしたら、
もったいないことだと思います。

あなたがやるべきことは、モノに縛られてはいけないのです。

あなたがやるべきこと・・・それはあなたのハートにあります。
それはモノではありません。
形のないもの・非物質。
それが、あなたを呼んでいるのです。

あなたのなかに、その声が聞こえますか?
サン・ダミアーノ教会のなかで、十字架がサン・フランチェスコに語りかけてきたように。
かすかな声です。
ほとんどの場合、声でさえないでしょう。
でも、あなたが何か受け取っているもの。
それが大事なんじゃないですか?

「モノがすべて」「モノを引き寄せたい」という意識から、
だんだん離れることが、あなたの成長だし、「引き寄せの法則」を深く理解する
ことにつながります。

「モノから離れたら引き寄せの法則なんて意味ない」って?
モノを引っ張ることが大事なんじゃなくて、
宇宙は波動であり音であり、あなたのなかにある波動を信頼することが大切なんです。
そして、周りの人と波動の共鳴を起こし、壮大な音楽を奏でること。
それが人生ですよね。
そういう人生を祝福することです。

あなたはどこまでモノから自由ですか?
サン・フランチェスコは僕たちに質問しているように思えます。

あなたはいかが?

■あなたの引き寄せがうまくいかない たった1つの理由
http://online.attraction-method.net/1hour_to_excellence_bosyu/